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幼少期
私自身、小児喘息を患い幼少期~高校時代まで発作に悩み苦しんだ経験があります。
当時はよく夜間の救急病院に連れて行かれ、夜中に吸入や点滴を受けたものです。
そんな体質だったこともあり、中学時代には親の勧めではり・きゅう治療を受けていました。
もちろん喘息はすぐに治る様なものではありませんでしたが、定期的に通って治療を続けていました。
はり・きゅうの独特の心地良さと時として不思議な治療効果を体感した後は、運動で腰を痛めたとか、足が痛いと言ってははり・きゅう治療にお世話になっていたのです。
今思えばあの時、はり・きゅう治療に魅せられていたのは、治療効果はもちろんのこと、その先生の人間的魅力によるところが大きかったのであろうと思います。
私の拙い感覚ですが、治療家として身に纏われていた“空気”がとても心地よく感じられたのです。
“逢うだけで・行くだけで・話すだけで癒される”
そんな本物の先生でした。
きっとこの頃から。
この1人のはり・きゅうの先生に出逢ったことが種となり、無意識下に〝治療家への憧れ〟が芽生えていったのでしょう。
高校在学時の進路相談
その流れは高校在学時の進路相談にも続いていました。
正直なところ、中・高校時代にずっとはり・きゅう師になりたいと考えていたわけではありません。
しかし、大学に行って特別に学びたいものがあったかといえば、そういうわけでもなく(なにか手に職を付けたいな)と考えていました。
そんなある日、フッと頭の中に浮かんできたのです。
(あっ、、、あのハリの先生みたいになりたいっ)
(痛みや不調で苦しんでいる人の役に立ちたいっ) と。
自分の子どもを小学生の頃からはり・きゅう治療に通わせる両親ですから、私の選択については大賛成をしてくれました。
そして担任の先生との進路相談。
あの日のことはきっと生涯忘れません。
(・・先ずは大学に行っておきなさいって言われそうだなぁ・・)
と、普通に思ってましたから。笑
「お前、それはすごく良いから絶対やれっ!!」
おそらく、あの担任の先生でなければこの言葉をかけてくださることはなかったでしょう。(と思っています)
当時全国制覇を成した母校のハンドボール部顧問であった恩師は、選手のメンテナンスなどとの関わりで、治療業界にとても明るかったのです。
こちらが「へっ??」と拍子抜けしてしまうほど、強烈に背中を押してくれたのです。
しかしそれが高校生だった自分にとってどれだけ心強いエールであったか、滝川先生には感謝の想いしかありません。
かくして、自身の迷いも周囲からの反対もなく真っすぐに、はり師・きゅう師、治療家を目指して行くこととなったのでした。
てんびん鍼灸治療院ができるまで
高校卒業後19歳の時に東京医療専門学校・鍼灸科に入学しました。
当時の生活スタイルはというと、深夜帯にアルバイトをして、ほとんど寝ずに登校し授業を受ける。午後から夜のバイトの時間までを休む時間に充てる昼夜逆転のリズムで生活する日々でした。
今では「規則正しい生活を!」などと、偉そうに言う私ですが、実はそんな過去もあったりします。笑。
でも、その経験があったから不規則な生活を続けていると、どのように体調が崩れていくのかということを身をもって知ることができました。
鍼灸科学生時代
学生生活は、入学当初こそ並な成績で進んでおりましたがあるプライベートな出来事をきっかけにメンタル面で急ブレーキがかかってしまい、成績の部分で急速に落ちこぼれていったのでした。
気力がなくなり、勉強意欲も薄れ、試験を受ければ散々な結果。。と。
今考えれば、甘えでしかなかったわけですが、深みにハマってしまった当時の私はそれまでの経験値では自力により這い上がることができなかったのです。
そんな窮地を救ってくれたのは志を同じくした大切な友人達。
成績や出席日数等のことで担任の先生に掛け合ってくれたり、話を気聞いてくれたり、気分転換をさせてくれたり。自分のことのように親身になって力を貸してくれたのでした。
本当にありがたかったです。
この期間はメンタル(精神)の状態が、どれだけ心身のコンディションに影響を与えてしまうのかということを嫌というほど体感した時期でした。
とても辛かったですが、治療家としてこのような体験が若いうちにできていたことには意味があったと今では感じております。
友人のサポートのお蔭で持ち直した私は、学校を卒業しはり師・きゅう師国家試験に通り、晴れて治療家としてのキャリアをスタートさせることになったのです。
初の就職先
初の就職先に選んだのは、当時代々木に住んでいたこともあり、同じ渋谷区にあった鍼灸整骨院グループでした。
同地域に数店舗分院展開をしていたそちらの院を選んだ理由は自宅から近いことと、営業時間が長いこと。
営業時間が長ければ、その分患者さんに触れられる機会が増える(経験が積める)と考えたからでした。
実際にその面では予想通りの経験をすることができました。また、勤続中に外傷を専門に扱う、柔道整復師という免許にも意識が向くようになります。
働きながらの柔道整復師養成校
鍼灸整骨院でしたので、少なからず外傷(骨折・打撲・肉離れ)等の患者さんがいらっしゃいましたから、仕事をしていく上で必要にせまられてきたことと、上司からの勧めがあったことがあり、働きながら柔道整復師の養成校に通いました。
医療系の専門学校が2回目ということと、働きながら学ぶということが人体に対する自分の理解をより深めてくれました。
鍼灸専門学校の頃のように、大きくコンディションを崩すこともなく柔道整復科は卒業することができ、国家試験もパスしました。
転職
卒業後、縁あって港区の鍼灸整骨院に転職をします。
こちらの治療院は、整骨院の保険診療のみならず、自費による施術にも力を入れている治療院でした。
以前の治療院にいたときよりも、一人一人の患者さんと接する時間がより長くなり、痛み・不調のみならず、人と人として関われる環境に喜びを感じるようになっていったのです。
そうした環境が私に教えてくれたのは患者さんが訴える表面上の症状の奥にストレス過多、疲れすぎ、頑張りすぎ等の現代人特有とも言えるような環境・状況要因が潜んでいるケースがとても多いということ。
目の前の症状(患者主訴)のみにアプローチしていても、一時的には良くなるが、またぶり返すケースが多いこと。
そして、当の本人がそのこと(自分のカラダの状態)に気付いてすらいないというケースが多いことでした。
店舗を任せてもらえるように
港区の鍼灸整骨院では、そのような治療家としての経験を積む一方で、店舗を一つ任せてもらい、院長として経営やスタッフ教育等の経験値も積んでいくことができました。
- 毎日たくさんの患者さんがいらしてくださること
- 院長という責任あるポストを授けてもらったこと
- 著名人なども訪れてくれる治療院
- 素晴らしい仲間のいる環境
とても恵まれた環境の中で仕事をしていましたがいつしかこう思うようになります。
(自分の理想とする治療院を持ちたい)と。
満足できない現状
自分の中に働き続けることで浮き彫りになってきた想いがあったのです。現状に満足していてはいけない、とも考えました。
私には前述しましたように柔道整復師の免許があります。これは、接(整)骨院を開業できる国家資格です。
接(整)骨院は外傷に対して保険を使用して治療を行うことができますが、保険の範囲内でできる治療には内容的にも時間的にも限度があるのです。
そして、疲労やストレスが原因の症状には不適応となります。
結局そういった症状に対応していくためには自費での治療をご提案せざるをえないのです。
メンタルや自律神経の問題に特化した治療院を
昨今、接(整)骨院はそこかしこにありますし、外傷の患者さんはそういった治療院にお任せすることにして、疲労やストレスが基で発症し重症化・慢性化してしまっている症状や、自律神経・メンタルの問題などに特化した治療院が必要だと考えました。
現在では現代人に必要なのは予防・メンテナンスの意識を持つことが第一だという結論に至っています。虫歯にならないためには・・・の考え方です。
疲労・ストレスの過多な現代、健康で笑顔が繋がる生活をどんな方にもしていって欲しいと願っています。
その為には痛みや不調が出たら早め早めに対処することが必要ですし、歯を磨くように、身体を洗うように、知らず知らずのうちに溜まっていく、心身の疲労とストレスも定期的に落とす・軽減させておくことが重要だと思いませんか?
身体のメンテナンスをすることが当たり前という風土を根付かせるために、それを発信できる場所として、私の想いを形にした治療院が、てんびん鍼灸治療院の前身である鍼灸サロン Trust physicalでした。2014年1月の開院でした。
2017年までを振り返って
開業から3年が経った2017年までの間に多くの患者さんとの出逢いがありました。
また、鍼灸・整体・カイロプラクティック・柔道整復・気功などなど、幅広い分野の治療家の先生方との交流を持つことも出来ました。
活きた情報が飛び交う環境に身を置いた結果、(今よりもっと悩み苦しんでいる人の役に立てる方法がある)という考えに至り、問診・検査法を見直し、治療計画を提示するなどして、院内のシステムを見直すこととしました。
システムの見直しに合わせ、屋号をてんびん鍼灸治療院と変更。
ホームページも新しく作り直しました。
2020年までを振り返って
システムを見直して以降、新たな先生方・治療法とのご縁によって、てんびん鍼灸治療院は更なる進化を遂げることになります。
アレルギー・過敏症の専門治療法アラテックセラピーとの出逢いがそのきっかけでした。
冒頭申し上げたように、私自身が幼少期より喘息持ちでした。実はそれのみならず、花粉症、慢性鼻炎、逆流性食道炎、腸過敏、手荒れ、ハウスダスト過敏、長引く咳、コーヒー過敏、油/脂肪過敏などなど、様々なアレルギー症状を持っていました。
アレルギー症状への対応は自分の中でも長年の課題ではありましたが、自分自身が治療家になった後、食事や生活習慣を見直したり治療を受けたりしても、コレといった決定的な変化の出る方法を見いだせないでいました。
アラテックセラピーに関しても、アレルギーが治ると勧められはしたものの今までの常識と自分の経験から(そんな都合のいいものがあるわけない)と内心考えながら、体験会に行ったのです。
あの日を境に私の治療家人生が大きく動きはじめました。
アラテックセラピーは私のモヤモヤした疑いの気持ちを吹き飛ばし、アレルギー治療に対する既成概念をも打ち破ってくれる治療法だったのです。
アラテックセラピーを取り入れてから、それまで学んできた養生法や施術法が真に活かされるようになったことを日々感じるようになりました。何よりも自分自身が長年悩んできた問題が嘘のように無くなってしまったことに、ただただ驚きました。
自分の体験したこの驚きと感動をもっともっと多くの人に届けたい。その想いは日増しに強くなっていき、同じ症状の辛さや悩みに対応させてもらうなら、自分の強みを最大限に活かせるアレルギーや過敏症に悩む方々のためにすべてを集約させて行こうという方針が固まるまでにさしたる時間は必要ありませんでした。
アレルギー症状でお悩みの方々に、当院でお手伝いさせてもらえることを知っていただけるように、Covid-19に世界が翻弄された2020年を使って、再度ホームページの見直しを行い、現在に至ります。
これからも関わってくださる方々の笑顔のために進化し続けます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
追記
はじめてのあなたに、当院と私のことを少しでも知っていただければいいなと思い、ついつい書きすぎてしまった感はあるのですが。。笑
こうしてこのページをここまでご覧いただけたことも、なにかのご縁かと思っております。感謝いたします。
現在お困りのことや不明な点、またご予約の希望がございましたらどうぞお気軽にご連絡ください。