【循環】
例えば
- お金
- 食物連鎖
- 植物の成長サイクル
- 24時間
- 季節
- 血液/リンパ
- 代謝
- バイオリズム
- 雨川海
- 地球
- 太陽系
みんな〝循環〟していますよね。
これらに代表されるように世の中も僕らの身体も多くの循環で成り立っています。
ヒトの身体の循環に直接的に間接的に関わることができることもあって、治療家という自分の仕事が好きなんです。
血液やリンパの循環状態が良ければコンディションも良さそうだってイメージできますよね。
反対に血液循環状態が悪いと聞くと・・・真逆のイメージになります。
たしかに循環は「良い」にこしたことはありませんが、それよりも「自然」であることが重要だよねって思ってます。
無理しても続かないですから。
さてさて、そんな自然体が望ましいと考えられる循環システムですが、
日本人の現在に至るまでの歴史変遷の中で、「とある循環」がどうやら不自然になってしまっている気がしてなりません。
それは僕たち「人間の肉体の循環」です。
なんのことかって話なんですが、もはや当たり前となっている「火葬」という葬送儀礼のこと。
記録に残っている最古の火葬は700年の飛鳥時代、それ以降は、一時土葬政策が打ち出されたりしたものの、広大な土地が必要だったり伝染病の懸念などから土層は敬遠され、徐々に徐々に庶民に火葬が広がって行き今や火葬率は99.99%だとか。
比率からもわかるように日本では完全に火葬が主流となっていますが、火葬は大量の二酸化炭素を生み、資材や燃料を消費することから地球温暖化などの環境問題にも影響し続けます。
また、火葬により遺骨こそ残るものの、肉体という貴重な有機物は利用されることなく形を失ってしまいます。
〝循環〟という自然の流れに従い、死してなお子孫や地球の役に立てる現実的な方法があるとすれば、
最後は他の生命のための肥料になることがそれだし、それこそが本来の自然な形だったのではないのかなって思うんです。
地球上で出来た資源を食べ物としていただき、吸収することで成長してきた人間。
このまま火葬を続けて行くと地球から養分を貰うだけもらって、その命を全うした後にさえも二酸化炭素を大量に排出し、エネルギーを消費して去らねばなりません。
地球にお世話になりっぱなしなんじゃないのかな?って、「循環」の流れからは明らかに逸れてしまっているよなってモヤモヤしていました。
そんな疑問を持つ中で、見つけたこの【堆肥(コンポスト)葬】の記事。
個人的にはもの凄く理に適っていると思います。
宗教上の話などは個人の自由なのでここでは取り上げませんが、「循環」をイメージしたときにこれ以上の葬送儀礼はないのではないかと思います。
これが死して〝肉体が土に還る〟ということの本来の形なんじゃないのかなと。
同じ地球上に住まいながら、人間以外に死を迎えた後火葬を行う生物を僕は知りません。
果たして火葬習慣は人類の叡智から生み出されたものなのでしょうか。
次の尊い生命の糧になること、養分になること。
それが僕の考える「人間の肉体の循環」の形です。
現在の日本では制度上の点で堆肥葬を選択することはできませんが、
自分が天寿を全うする時には法整備がなされてコンポスト葬も選択できる、そんな未来になってるといいな。
参考リンク➡ 堆肥(コンポスト)葬(外部リンク)